マジメさんのライフ・ラボ

マジメに気楽に考えたことをつらつらと

「TOEICでライバルに差をつける」って・・・何を?

こんにちは。島牛です。

 

会社に行く途中に大学の横を通るんですけども、今は就活シーズンの真っ最中ですね。

リクルートスーツを着た学生さんがせわしなく通り過ぎていきます。

 

で、大学の横に掲げてあったTOEIC講座の看板がふと目に入ったわけです。

 

TOEIC 730点コース ライバルたちに差をつけてスタート!」

 

う~ん、ライバルに差をつけろ・・・か。

特にこれと言って特別な言葉でもないんですけれど、なぜか引っかかりを覚えたんですよね。

 

私自身、大学時代にアメリカ留学していたことがあったのでそれなりに英語は使えるつもりです。

TOEICを実施しているのはほとんど韓国か日本だけで、海外ではTOEICの認知度はゼロに等しいのでTOEFLばかり受験していました。

(実際に海外の大学入学に必要なのはTOEFLかIELTSなので)

 

そこからすると、日本でのTOEIC信仰はいまだにかなり根強いように感じます。

TOEICで満点を取ってもろくに英語が話せないやつはたくさんいる」とネット上でも書かれているのを目にしたりもしますが、実際にあのテストって日本の経済界が海外でTOEFLを運営しているETSに

 

「日本のビジネスマンの英語力をチェックするのにいいテストを作ってくれ!」

 

って外部委託して作ってもらったテストなんですよね。で、毎年かなりのお金を経済界からETSにも払っているようです。

ただ、先にも言ったように、海外での知名度は本当にないです。アメリカで「TOEICで〇点取っている」と言っても、「そのテスト何?」って反応だと思います。

なので、TOEICでスコアを取得すること自体、「井の中の蛙」ではないですが、そうしたかなり限られた世界の中でのことに感じてしまうんです。

 

しかも、実際に仕事で英語をバリバリ使う社会人って、果たして日本中の社会人の中の何パーセントぐらいなんでしょう。

私も、一般的に見れば「よく英語を使う仕事」と言われていますが、それでも日常的に英語を話すわけではないですし、日本語のコミュニケーション力の方が圧倒的に大事だと思っています。

 

TOEIC600点の学生と700点の学生がいたとして、同じ会社に入ったとして、700点の学生は600点の学生に何か差をつけたことになるのでしょうか。

仮に英語力で少し差があったとしても、社会に出て600点の人がそれなりに努力していれば、あっという間にひっくり返るぐらいの差だと思います。

むしろ700点の学生からすれば、入社時に自分の方が上だと思っていたところを追い抜かれかねないことで、何らかの焦りも出てきそうです。

いわんや、そもそも職場で英語を必要としない環境なのであれば、TOEICの点数って何を測る基準になるわけ?と思ってしまいます。

 

就職市場においてやたらと英語のスキルがもてはやされていますが、あくまで英語を使う仕事に就く人がその専門性において評価されれば良いだけの話であって、何もそこで「ライバルに差をつけて」みたいに煽る必要はないんじゃないのかな、と思いました。

 

ではでは。

とりあえずブログ立ち上げ3日で10記事を書いてみた

こんにちは。島牛です。

 

今日でブログ立ち上げから3日。これで10記事目です。

 

僕がお手本にさせていただいている「イキルメディア」のけぴおさんはじめ、ブログで成功されている方々がみなさんおっしゃるのが、「とにかくまずは量を書くこと。中身がないと始まらない」ということ。

 

成功している人がそう言っているのだから、その通りなんだろう。

 

じゃあ、とりあえず書くことを続けてみよう。

 

今は単純にそれぐらいの気持ちです。書くこと自体は好きですし、考えることはもっと好きなので、書きたいトピックは朝起きてシャワーを浴びているときも通勤途中も仕事をしているときもランチを食べているときも、けっこう湧き出てきています。

今は1日3記事を目標に続けようとしています。

朝起きて家を出る前に1記事、夜帰宅してから2記事。

ただ、ランチの時間とかで中途半端に余っている時間とか、運よく通勤途中に座席に座れて15分ぐらい時間があるときに、「あー今何かタイピングできるものがあれば絶対に記事書けるのに」と思うこともしばしばです。

 

もうすぐボーナスも出る時期になるので、けぴおさんもおススメされている「ポメラ」なるものを買おうかと考えています。

重さが500gぐらいでタイピングに特化した超小型ワープロみたいなもので、いつでもどこでもすぐに立ち上げられて記事を打つことができるみたいです。

しかも、去年の10月に最新版が出たらしく、wifi機能やメール機能もついているらしい。

メール機能があったら自宅のパソコンに飛ばしたり、はてなブログであればメールで飛ばして直接ブログ上にアップすることもできるみたいなので、これはかなり期待できますね~。

朝昼晩、1日3食、記事3つ。

ご飯を食べるのと同じぐらいの感覚で記事を作っていけたらいいな~と思ってます。

 

それはそれとして、これはブログを立ち上げた人が誰しも体験することなんでしょうが、最初って記事書いたところで誰も見てないんですよね。

読者がいないのに書き続けるって、しかもあたかも読者がいるかのように書き続けるって、たぶんブログに興味がない人からしたらバカ丸出しに見えるかもしれません。

 

たしかに、この3日間でPVは合計10だけ。

おそらく、このうちの8-9は私です。スマホで記事を確かめたりしてたので。

(どこから見つけられたのか、1人だけ純粋な読者からスターをいただきました。これ嬉しいですね)

 

でも、ふと思い立ちました。

よく考えたら、私が一番の読者なんですよね。

どこまで行っても、絶対に読者がゼロになることってないんだなと。

だって、自分で書いておきながらこんなこと言うのは端から見ればバカバカしいこと極まりないんでしょうが、

 

このブログを読みたいと世界で一番思っているのって、実は私なんじゃないかと思うんです。

自分の想念を文章化したものを自分で見て、「あーこんなこと考えてたなー」とか、書いているうちに自分でも驚くような表現とかがポンッと出てきたりしたときに「よくこんなこと書けたなー」とか、自分の文章を自分で見て思うことって、この10記事だけでもたくさんあるんですよね。

 

たぶんまだ誰にも読まれていないんでしょうが、自分が自分のブログを見て楽しめているうちは、読者はぜったいにゼロにはならない。

ブログを書くことに疲れて心が折れそうなときは、そうやって考えて自分を励ましてみようと思います。

 

もう日付が変わりますね。おやすみなさい。

リア充代行サービスって・・・

こんにちは。島牛です。

 

今日の朝、何気なくスマホを見たらこんな記事が。

 

irorio.jp

 

ちょっと吹きました。さすがに。

これまでお金を払えば一時的にスタッフさんが家族になってくれる「家族代行サービス」やら、披露宴で友人が少ない新郎新婦が披露宴の席を埋めるためにスタッフを呼ぶ「友人代行サービス」やらができたというのは耳にしていましたが、そこから今度は「リア充代行サービス」ですよ。

 

確かに目の付け所はいいんだと思います。現にこうしてニーズがあってある程度の成果を会社として出しているわけですから。

 

こういうの、全部ひっくるめてまさに「不安産業」ですよね。

 

「家族がいなくて1人がさびしい」という不安から「家族代行サービス」が、

「披露宴に来た人に友だちが少ないって思われたらどうしよう」という不安から「友人代行サービス」が、

SNSで否リア充に思われたらどうしよう」という不安から「リア充代行サービス」が生まれているわけです。

 

不安は人の心から無尽蔵に湧き出てくるものだと思います。特にSNSなんかは、人の不安を掻き立てるのには格好のツールだと個人的には思っています。

(もちろん、ちゃんと見識を持って使うことができれば良いこともたくさんあるわけですが)

 

SNSを通じて湧きおこってくる不安って、突き詰めれば「他者との比較」からです。

他人の友だちの数と自分の友だちの数を比べて不安になる。

他人の日常が充実してそうな写真と自分の充実してなさそうな写真を比べて不安になる。

プロフィールに書いてある経歴の多さや華やかさを比べて不安になる。

いろんな切り口から、人の心のあらゆる所に不安を生じさせる不安製造機でもあるわけですよね。

 

社会人が自発的に仕事やネットワーキングにSNSを使ったりするならまだしも、年端もいかない中高生が使い始めるのって、だいたい「友だちがみんなやってるから」っていう同調圧力によるものが大きいです。

主だった意思もなく始めたSNSにより、他人との比較を無意識に、しかも半強制的な形で行う羽目になる。

そこまで意識化してSNSを使い始める中学生もいないでしょうから、だいたいその行く末は分かりますよね。

 

リア充(と周りから思われる)な人がSNS競争=他者との比較競争に勝ち、非リア充(と周りから思われる)な人が競争に負ける。これです。

そこでSNSの仕組みに気付いて距離を置くことができればいいですが、人によってはその比較競争の深みにさらにはまっていく。

 

「自分だって、がんばればもっとリア充に見せることができて、周りからうらやましがられる存在に今からでもなれるはず」

SNS上で(しかも表面的な次元で)しか通用しない物差しで自分を測り続け、もがきながらその尺度の上で存在意義を獲得しようとする人が増えてくるのなら、お金を使ってでもSNS上での地位を獲得することも一つの手段になるのでしょう。

お金を使って不安を解消する、不安ビジネスの成立です。

 

リア充代行サービスが成立する背景にこういうカラクリがあることぐらいは、そこら辺を歩いている人でも普通に気づいているはず。

そして、だいたいこのサービスが世間的には好ましく受け入れられるサービスではないことも、だいたいの人は分かっているはず。

 

それでも手を伸ばしてしまうんですよね。だって不安は怖いんだから。

 

まあお金の使い方は人それぞれですし、このサービスにお金を使って不安を解消することに費用と対等の価値を感じるのであれば使うことは何も問題ないと思います。本人が納得しているのであれば。

 

ただ、無意識にSNSに振り回されて金を巻き上げられるようなことにはしたくないなと、私は私に対して思います。

皆さんはいかがでしょうか。

 

今回はこの辺で。