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マジメさんのライフ・ラボ

マジメに気楽に考えたことをつらつらと

地下鉄サリン事件から22年

news.yahoo.co.jp

 

今日で、あの地下鉄サリン事件から22年。

 

当時神戸に住んでいた私にとっては、1月17日の阪神大震災のことがあまりにも記憶にありすぎて、当時は正直同じ年にサリン事件が起こったという印象があまりありませんでした(テレビもろくに見られなかったので)。

 

それでも、この事件については思う所がたくさんありますね。

大学で心理学を学んでいて、卒論で「オウム真理教に見る洗脳の手法」なんていうのを書いたりしましたので、もちろんこの事件についても色々と調べました。

 

エリート集団を配下に置いた1人の教祖が引き起こした、日本犯罪史上初の生物兵器による無差別テロ事件。

新興宗教」という言葉を世に知らしめるきっかけともなった事件だったと思います。

 

「なぜ東大卒のエリートが麻原彰晃のような得体の知れない『おっさん』の言いなりになったのか」

「人を無差別に殺すことに違和感を抱かなかったのか」

「人を殺すことを正義とするなんてとんでもない宗教だ」

当時からこうしたことは幾度も幾度も論じられていました。そして22年経った今も、メディアは冒頭の記事のような形であの史上最悪のテロを人々の記憶に刻み続けています。

 

端から見たら異常であることは明らかなことなのに、当事者たちには全くその自覚はない。むしろそれが正義だと思って妄信している組織内部の人たち。

外からいくら「危ないからそこから出た方がいい」と言われても、「よそ者が我々の崇高な信念を汚そうとしている」「我々は何があっても屈しない」と余計に内部の結束は強固なものになっていく。

 

正直、これ、他人事とは思えないところもあるんですよね。

(いや、もちろん人を殺したいとか世界を滅ぼしたいとかいう願望はないですけど)

おそらく、というかほぼ間違いなく、あの事件を起こした麻原彰晃配下の信者たちって、一途でマジメで正義感も強くて、どちらかというと「いい人」だったんだと思います。

そのマジメさゆえに、それぞれの信者が生きていた社会のフィールドで、この世の中に対する不満や違和感、絶望を抱き始め、「満たされない感じ」が心の中に巣食っていたのでしょう。

自分が理想とする世界と現実のギャップに苦しむばかり。でもそれを変えられる力があるかと言われればそうでもない。自分の無力さも嫌というほど分かっている。そうやって、調和の取れない心が生み出す摩擦熱が蓄積されていったとしたら、膨張し続けて破裂寸前の自分の心をどうしていいのか全く分からなくなっていたとしたら。

 

「この世の中を一緒に変えてやろうじゃないか」と目の前で手を差し伸べてくれた人間が、それはそれは崇高な存在に見えてしまっても、不思議ではないような気がします。

「いや、私はそんなものに絶対に引っかからない」と自信を持って言っている人ほど、実はこうした状況が訪れたときに価値観が覆ってしまうともよく聞きます。

 

「過去にこんな事件あったよね。今から考えたら信じられないよね」で終わらせていると、どこかでまた同じような災禍が起こるように思えてなりません。

日本の犯罪史に永久に残るであろうこの事件については、もっと深く掘り下げて考えていく必要がありそうです。