「表現したい」という衝動はどこから生まれるのか その2
前回の続きです。
精神的に安定すればするほど、心理的欠乏状態を脱すればするほど、なぜだか「想いを文字に表したい」「書きたい」という衝動が減っていったというお話。
自分の中にこういう変化が表れてみると、実はこの世界の色々なことに似たような相関性があるんじゃないかと思うようになりました。
例えば、文学作品。
かつての文壇を彩り、今なお不朽の名作として読み継がれている作品を生み出した文豪たちは、全員とは言わないまでも相当な人々が最期に自ら死を選んでいます。
この世の中で生きる上で解消され得ない不条理さ、生きづらさを内包しながら、時には病に伏しながら、原稿用紙の上に文字を並べていった末に、その文豪たちの「魂の結晶」とも言うべき芸術作品が生まれていたように思います。
もちろん、単純に「文学者は不幸な方がいい」と言いたいわけではありません。
現に、現代でも作家として満たされた生活を送りながら作品を生み出し続けている方もたくさんおられます。
ただ、一昔前、明治から昭和初期にかけて何かに突き動かされるように作品を生み出し続けた文豪たちが、ぬくぬくと平和な日々を過ごしていたようには思えません。
作品によっては、その文豪の魂が飢餓状態に陥っているかのような鬼気迫る「言葉の圧」を感じるほどです。
音楽にしてもそうです。
例として挙げるのが良いかは分かりませんが、1980年代に時代を席巻した尾崎豊。
不条理に満ち満ちた現代社会に生きるいち若者として、世間に対する魂の叫びを音律に乗せて世に問うたとき、やがては熱狂的なファンに神格化されるほどのスターになっていきました。
自分の精神や肉体を削ぎ落しながらも音楽を生み出し続けた彼は、彼ほどではなかったとしても、何となくこの世の中にやり切れなさを感じる若者にとっては、「内なる声の代弁者」足り得たのでしょう。
ただ、その彼が平和な日々を送っていたとは到底思えない。
彼の最期がどうであったかを思い返せば、想像するのはそう難くないはずです。
ある音楽評論家に言わせると、「彼の不幸を一番望んでいたのは彼を取り巻いていた熱狂的信者だったに違いない」と。
かつての熱狂的ファンにとって、尾崎豊はいつもボロボロでなければならなかった。
そうでなければ、私たちの魂に響く音楽を生み出す尾崎豊たり得ないから。
彼には、社会との不協和音を生み出し続ける存在でいてほしい。その願望の究極の形として、崇拝の対象である尾崎豊の悲劇的な死を心の奥底で望んでいたのは他ならぬファンだったのではないか、という分析です。
当時「確かにその通りだよな」ととても腑に落ちたのを覚えています。
話が少し逸れましたが、突き詰めれば、音楽であれ文学であれ絵画であれ何であれ、「作品を生み出す」ということはその作り手の魂次元での欠乏感と密接にリンクすることなんだなと思いました。
今の私と比べられるような次元ではないことは百も承知ですが、ささやかな自分の個別体験を演繹的に広げて考えていったときに、そういった視点も得られたような気がします。
まあ、とは言っても、書くのがメンドくさいから書かなかった、というのも否めないところです。
またこうして再開しましたので、日々感じたことをまたつらつらと書いていきます。
さてさて、どこまで続くことやら・・・。