あるおじい様のお話
先日の週末、行きつけの焼き鳥屋のカウンターでいつものように飲んでいたときのこと。
私は1人で飲んではカウンターの隣にいる人といつの間にか仲良くなっていろんな人生談義をするのが楽しみの一つです。
その日は、隣に40-50代ぐらいのご夫婦がいらっしゃいました。
ご夫婦でお酒を楽しまれているところでいきなり話しかけるのもなぁ・・・と思いつつも、私が好きな日本酒を飲まれていたので、そのことを話題にして会話を始めました。
北海道出身の奥さんと山梨県出身の旦那さん。
お互いに上京した頃に知り合ったということで、それぞれの地方のあるある話で盛り上がりました。
結局、ちょっと飲むつもりが4時間ぐらい一緒に飲んで、最後はお互いに酔っ払いながら太宰治がどうだのという文学談義を夜中までしていましたね笑。
お会計をしたところまでは覚えているのですが、どうやってそのご夫婦と別れたかはあんまり思い出せず、結局お名前も聞かずじまいでした。
まあでも、こういう一期一会があるのは本当に楽しいなと思います。
そのときに聞いた、旦那さんのおじい様のお話がとても印象に残ったので、少しおすそわけです。
飲み始めて2時間ぐらい経った頃でしょうか、おもむろに旦那さんがおじい様のことを話し始めました。
「いつも何を考えてるんだか、結局死ぬまでじいさんのことはあんまり分からずじまいだったけど、今でもずーっと忘れられねえんだよなあ」
と言いながら、トツトツと旦那さんが語り始めました。
山梨の大地主の家に生まれたおじい様は、第二次世界大戦時に南西諸島に陸軍兵として渡られたそうです。
(どの島に渡ったかまでは分からないそうです)
南西諸島と言えば、陸軍が無謀な進軍をしたがために兵士の大半が命を落とす羽目になった、日本の戦争史においても悲惨を極める戦地の一つでした。
結局、戦争が終わってその軍隊の中で生き残って日本に帰ってきたのは、たったの3人しかいなかったそうで、おじい様はその中の1人でした。
とても貴重な生き残り兵ということで、後々は天皇陛下から勲章をいただくほどだったそうですが、帰国した当初は「恥さらし」と周囲から相当な批判も浴びたのではないか、と話していました。
孫であるその旦那さんがおじい様と一緒に過ごした時間は、そんなに長くなかったようです。
自分の戦争体験については、いくら聞かれても一切答えようとしなかったそうです。
そんなある日、おじい様が長年連れ添ってきた奥様が亡くなられてしまいました。
それからというもの、おじい様はぴたりと食事をすることを止めてしまったのだそうです。
「そんなにショックだったのかねえ・・・少なくとも俺からは、そんなにばあさんのことを想っているようには見えなかったけど、内心では何を思ってたんだろうって、今も分からずじまいだよ」
どれだけ息子や孫が言っても、それからおじい様が亡くなられるまでは本当に食事は取らなかった。
そして、翌年のおばあ様の命日、まさにその日におじい様も静かに息を引き取ったのだそうです。
「偶然なのかどうかは分からねえけど、狙って同じ日に死ねるもんじゃねえよな。一切言葉とか態度には出さなかったけど、やっぱりばあさんのことは本当に好きだったんだろうな。今頃あの世で何してんだろうな、あの夫婦」
悲しむわけでもなく、懐かしむように、愛おしむようにタバコと日本酒を静かに楽しむ旦那さんからは、私みたいな30そこそこの人間には出せない人生の深みを感じました。
今となっては確かめる術もないこと。
そのおじい様の死に際が、何か後世に確たる意味を残したのかどうかも分かりません。
山梨のいなかの、偉人でも何でもない普通の人であっただけです。
ただ、私にはそうしたおじい様の話を聞くうちに、何かが心に沁みていく感覚がありました。
その生き様がどうだったとか、あれはこうだったんじゃないかと詮索をするのは、何やら無粋な気すらしてしまいました。
語れない歴史をあまりに持ち過ぎたがゆえに、次第にそのことについて口を開くこともしなくなり、ただただ自分の内にのみその歴史を抱えて静かに生きてこられたのでしょう。
そんな方が誰にも言わずに秘めて守り続けた美徳(と言ってしまっては味気ないですが)は、他の誰もとやかく言えるものではないと思いました。
ただただ、おじい様の人生をそのまま味わっていたいひと時でした。
私は基本的に、私よりは年が一回りか二回りぐらい上の方と一緒に飲むのが大好きです。
私にはまだ知りえない人生の深みを先輩からこうして聞かせてもらえることなんて、何にも勝る人生勉強じゃないですか。
また、週末の夜は街の居酒屋に消えていくことにします。