マジメさんのライフ・ラボ

マジメに気楽に考えたことをつらつらと

「全人格労働」の怖さ

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こちらも少し前の記事ですが・・・

 

news.yahoo.co.jp

 

以前に当ブログで書いた、

 

「ボロ雑巾になって捨てられる社畜たち」 - マジメさんのライフ・ラボ

 

こちらの記事の連載です。

 

本来、仕事は労働の対価として報酬をもらう場であって、それ以上でもそれ以下でもない。

でも、いわゆるブラック企業は容易にそのラインを越えてきます。

 

「全人格労働」

 

仕事に自分の人格すべてを捧げることを半ば強制され、そのことによってゆくゆくは人格を犠牲にし、人生をも崩壊させることになる、あまりに恐ろしい働き方と言えるでしょう。

 

私も社会人になって初めて入った会社が凄まじい「ブラック企業」でしたので、この一見端から見たら「そんなに辛いなら辞めたら良いのに」という言葉で済んでしまうような働き方が、社内の人間にとってはいかに絶対的な価値を持つか、またいかにその価値が社内の人間を支配していくかをまざまざと体験しましたし、周りの社員の様子も目の当たりにしてきました。

 

私の会社では、自分という人格のすべてを犠牲にして働くことが美徳とされ、「ワークライフバランスを大切にしたい」などと口にしようものなら、「そんな片手間でできるような仕事だと思っているのか!」と容赦のない叱責を食らうような状況でした。

 

その価値観の中で評価されようと思うのであれば、やることはただ一つ。

「自分を犠牲にする」という犠牲的精神を見せることです。

自分の身を粉にしてまでも会社を守ろうという心意気を見せることが、評価を上げる唯一の道だったと言えます。

 

もちろん、仕事にもいろいろな幅があります。

あるときは一つのプロジェクトを完成させるために、休む暇も惜しんで仕事をすることはあるはず。

それらを全て「全人格労働につながりかねない犠牲的精神」とくくってしまうことはできません。

それはあくまで「プロジェクトを完成させたい」という自発的な意思であって、「そうしなければ自分の存在意義、人間としての意味がなくなってしまう」という恐怖から来る行動ではないからです。

 

「全人格労働」の根底には、「人格の全てを投げ打ってでも仕事をしなければ、自分の存在意義がなくなってしまう」という恐怖があります。

少なくとも、私も私の同僚もその恐怖によって動いていた所はあります。

そうしたことを恐怖に感じさせてしまう会社そのものの罪は非常に大きいものがありますが、そうした会社がなくならない以上、個々人が見識をもって会社を見なければならないのだと強く感じるところです。

 

そして現実として、こうした「全人格労働」の罠に陥りやすいのはマジメな人に多いと思います。

マジメであること自体は全く悪いことではありませんが、そのマジメさゆえに陥りやすい落とし穴を自分で認識しておかないと、災いを呼ぶことになりかねません。

 

このサイトを訪れてくださるマジメな方、これは私にも言えることですが、自分のマジメさをどのように扱っていくか、どのようにその性格と向き合っていくかは生きていく中で本当に大事な課題の一つです。

 

この「全人格労働」のように、マジメな人を絡めとろうとって使い捨てようとする社会の風潮がある以上、自分を大切にするためにも自分の頭で考えて物事を判断する力が必要になりますね。