リア充代行サービスって・・・
こんにちは。島牛です。
今日の朝、何気なくスマホを見たらこんな記事が。
ちょっと吹きました。さすがに。
これまでお金を払えば一時的にスタッフさんが家族になってくれる「家族代行サービス」やら、披露宴で友人が少ない新郎新婦が披露宴の席を埋めるためにスタッフを呼ぶ「友人代行サービス」やらができたというのは耳にしていましたが、そこから今度は「リア充代行サービス」ですよ。
確かに目の付け所はいいんだと思います。現にこうしてニーズがあってある程度の成果を会社として出しているわけですから。
こういうの、全部ひっくるめてまさに「不安産業」ですよね。
「家族がいなくて1人がさびしい」という不安から「家族代行サービス」が、
「披露宴に来た人に友だちが少ないって思われたらどうしよう」という不安から「友人代行サービス」が、
「SNSで否リア充に思われたらどうしよう」という不安から「リア充代行サービス」が生まれているわけです。
不安は人の心から無尽蔵に湧き出てくるものだと思います。特にSNSなんかは、人の不安を掻き立てるのには格好のツールだと個人的には思っています。
(もちろん、ちゃんと見識を持って使うことができれば良いこともたくさんあるわけですが)
SNSを通じて湧きおこってくる不安って、突き詰めれば「他者との比較」からです。
他人の友だちの数と自分の友だちの数を比べて不安になる。
他人の日常が充実してそうな写真と自分の充実してなさそうな写真を比べて不安になる。
プロフィールに書いてある経歴の多さや華やかさを比べて不安になる。
いろんな切り口から、人の心のあらゆる所に不安を生じさせる不安製造機でもあるわけですよね。
社会人が自発的に仕事やネットワーキングにSNSを使ったりするならまだしも、年端もいかない中高生が使い始めるのって、だいたい「友だちがみんなやってるから」っていう同調圧力によるものが大きいです。
主だった意思もなく始めたSNSにより、他人との比較を無意識に、しかも半強制的な形で行う羽目になる。
そこまで意識化してSNSを使い始める中学生もいないでしょうから、だいたいその行く末は分かりますよね。
リア充(と周りから思われる)な人がSNS競争=他者との比較競争に勝ち、非リア充(と周りから思われる)な人が競争に負ける。これです。
そこでSNSの仕組みに気付いて距離を置くことができればいいですが、人によってはその比較競争の深みにさらにはまっていく。
「自分だって、がんばればもっとリア充に見せることができて、周りからうらやましがられる存在に今からでもなれるはず」
SNS上で(しかも表面的な次元で)しか通用しない物差しで自分を測り続け、もがきながらその尺度の上で存在意義を獲得しようとする人が増えてくるのなら、お金を使ってでもSNS上での地位を獲得することも一つの手段になるのでしょう。
お金を使って不安を解消する、不安ビジネスの成立です。
リア充代行サービスが成立する背景にこういうカラクリがあることぐらいは、そこら辺を歩いている人でも普通に気づいているはず。
そして、だいたいこのサービスが世間的には好ましく受け入れられるサービスではないことも、だいたいの人は分かっているはず。
それでも手を伸ばしてしまうんですよね。だって不安は怖いんだから。
まあお金の使い方は人それぞれですし、このサービスにお金を使って不安を解消することに費用と対等の価値を感じるのであれば使うことは何も問題ないと思います。本人が納得しているのであれば。
ただ、無意識にSNSに振り回されて金を巻き上げられるようなことにはしたくないなと、私は私に対して思います。
皆さんはいかがでしょうか。
今回はこの辺で。