マジメさんのライフ・ラボ

マジメに気楽に考えたことをつらつらと

稀勢の里、新横綱優勝!

 

 

昨日の夕方、たまたまテレビをつけたら大相撲の優勝決定戦の直前。

 

肩を負傷した稀勢の里照ノ富士の一騎打ち。

昨日の朝の「サンデーモーニング」でコメンテーターが「まあ肩も怪我してるし、照ノ富士で決まりでしょうね」と言っていたように、私も稀勢の里は難しいだろうと思ってました。

 

ところが...もう結果はご存知の通り、まさかの2連勝で逆転優勝です。

普段家では静かにテレビを見る方なんですが、さすがに優勝した瞬間は拍手しちゃいましたね。

 

稀勢の里は私とほぼ同年代で、何かしら勝手に親しみを覚えてました。

ただ、これまで勝てない時期が続き、ネットでは稀勢の里 寛(きせのさと ゆたか)の頭文字を取って「KY(空気が読めない)力士」なんてずっと叩かれてました。

(正直、私もその中の1人で、関心はあるものの勝てないことをずっとネタにしていましたね...)

「勝つべきときに絶対に負け、勝たなくても良いところで勝って観客をいつもがっかりさせる」という見えざるルールがあるのかと思うほど、あと一歩のところで勝てない姿ばかりが印象に残っていました。

 

ただ、先場所からの活躍ぶりはすごい。

今場所も、人が変わったのかと思うほどの落ち着きと貫禄がテレビからも伝わってきました。

そして、最後に最高の結果を残しましたね。

 

結果を出した途端、メディアもここぞとばかりに稀勢の里ブームです。

これまでの批判は何だったのかと言いたい所ですが、そこは私も全く一緒なので、つくづくゲンキンなものだなぁと自分でも思ってます笑。

 

サンデースポーツのインタビューも見ましたが、あの不器用というか、武骨で硬派な受け答えがすごく好きですね。

多くを語らず、ただただ謙虚にすべきことに向き合い続けようという姿勢にはとても好感を持ちます。武士みたいですよね。

ああいう、メディアに迎合しない姿勢は本当に好きです。

 

ただ、こうしてメディアに取り上げられて国民のヒーローのようになれたのも、ひとえに結果を出したから。結局はそれにつきますよね。

ここまで結果を出せない時期が続いているにもかかわらず、ひたすらに重心を落として努力し続けて耐え抜いて最後に結果を出した稀勢の里の苦労は、他の力士とも一線を画しているような気さえします。

 

小さい頃から祖母の家で貴乃花若乃花を応援してきた身としては、日本人横綱はただただうれしい限りです。

これからも活躍を続けて欲しいですね!

発明家・道脇裕さんの生き方・考え方

私はけっこうテレビのドキュメンタリーが好きで、よく見ています。

(相変わらずマジメな感じですが笑)

 

実際にはその人に出会ったことがなくても、テレビを通じて取り上げられた人の人生に触れて「出会い」を感じることができるからです。

 

その出会いから得られるエネルギーや学ぶこともあり、毎週録画予約をしてます。

 

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、通常の放送時間には他の番組の録画をしているので、深夜帯・昼間の再放送を録画して見てますね~。

 

今日紹介したいのは、先月ぐらいの再放送。

 

道脇裕(2016年11月14日放送)| これまでの放送 | NHK プロフェッショナル 仕事の流儀

 

「どんなことがあっても緩まないボルト」を発明し、世の常識を覆した発明家です。

 

「発明家」という肩書でこの道脇裕さんが紹介されていたことに、まず興味を持ちました。

発明することが職業になるって、エジソンの時代ならまだしも、今もそれで生活が成り立つのかな?というのがそもそも興味を持ったところですね。

 

内容の概要についてはぜひ番組のホームページを見てもらいたいのですが、発明家としての業績もさることながら、私が一番感動したのは、やはり彼の生き方、人生観です。

 

道脇さんは、とにかく「自分の生き方」を貫かれた方だと思いました。

それは組織に属さないということもそうですし、思考そのものが何にも属さない独自のものなんですよね。

 

幼少期におばあさんと食事をしているとき、おばあさんが総入れ歯を取り外して机の上に置いたのを見て、

 

「おばあちゃん、目も外して置いてみて!」

 

と嬉しそうに話した道脇少年。その当時から考え方の自由さの片鱗を見せていました。

 

小学校に入ると、教科書は配られてから1週間ぐらいで自学自習をして終えてしまい、次第に「じゃあ何のために授業を受けているんだろう」「別に学校って来なくてもいいんじゃないか」と思い始めるわけです。

 

小学校5年生にして「この教育システム、仕組みがおかしいんじゃないか」と考え始めるんです。すごいですよね、この感覚の鋭さ。

 

「とにかく、この既存のラインから降りて、何をしたらいいのか、何で生きているのか、もやもやと思っている人生の疑問の答えを見つけたかったんです。 」

 

そう考えた道脇少年は、小5でお母さんに、

「みんなと同じこのシステムに乗っているのは嫌だから、僕は降りる」

と伝えて学校に行かなくなりました。

 

何のために生きているかもわからない。

社会が何のためにあるのかもわからない。

 

そうした人生に対する根本的な疑問を抱えながら、新聞配達や漁師のお手伝いをしながら、中学校、高校にも行かずに道脇少年は自分を探してさまよい続けます。

 

そうして大人になり、ある日車を運転していたときにタイヤのボルトが外れて危険な目に遭い、「じゃあ、緩まないボルトがあればもっと事故は減って安全になるのでは」と思ったところから彼の発明人生が始まります。

 

31歳で会社を立ち上げ「緩まないボルト」を製品化、瞬く間に製造業界で評判が広まり、「発明界の革命家」としての地位を確立されていきました。

 

私は、道脇さんがそうして自分の人生の答えを自分で出した、その生き方に本当に感動しました。

人生に対するぼんやりとした疑問は、おそらくは誰しもが持っているはず。

でも、その問意に対して正面から向き合わず、それなりに暮らしている人が多いのも事実です。

道脇さんは、自分の青春期をすべて使って、他の子が学校に行って青春を謳歌しているときにもひたすらに人生の意味を問い続け、探し続けられたのだと思います。

 

「そんなことを考えるぐらいなら、勉強していい大学に行っていい会社に入った方が幸せになれるだろう」

今学校に行っている中学生、高校生が道脇さんのように考えて悩んでいたとしても、先生からはこのように言われるのが関の山でしょう。

ここまで露骨ではないにしても、悩み考えることの価値をどこまで学校の教育現場が理解しているのかは甚だ疑問です。

 

本当の人生の意味を考えるには、学校のフィールドはあまりに道脇さんにとっては窮屈過ぎた。

その気持ちにあくまで正直に、自分の生きる道を学校の外に見つけ出し、納得がいくまでさまよい続けた心の強さは、さすがとしか言いようがありません。

 

悩むこと、考えることの意義を、最終的に社会的業績を上げることで具現化した道脇さん。

人生に思い悩む若者にとっては、これほど心強い先輩はいないと思います。

 

人生の先輩との出会いが、また一つドキュメンタリーを通じて増えました。

「全人格労働」の怖さ

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こちらも少し前の記事ですが・・・

 

news.yahoo.co.jp

 

以前に当ブログで書いた、

 

「ボロ雑巾になって捨てられる社畜たち」 - マジメさんのライフ・ラボ

 

こちらの記事の連載です。

 

本来、仕事は労働の対価として報酬をもらう場であって、それ以上でもそれ以下でもない。

でも、いわゆるブラック企業は容易にそのラインを越えてきます。

 

「全人格労働」

 

仕事に自分の人格すべてを捧げることを半ば強制され、そのことによってゆくゆくは人格を犠牲にし、人生をも崩壊させることになる、あまりに恐ろしい働き方と言えるでしょう。

 

私も社会人になって初めて入った会社が凄まじい「ブラック企業」でしたので、この一見端から見たら「そんなに辛いなら辞めたら良いのに」という言葉で済んでしまうような働き方が、社内の人間にとってはいかに絶対的な価値を持つか、またいかにその価値が社内の人間を支配していくかをまざまざと体験しましたし、周りの社員の様子も目の当たりにしてきました。

 

私の会社では、自分という人格のすべてを犠牲にして働くことが美徳とされ、「ワークライフバランスを大切にしたい」などと口にしようものなら、「そんな片手間でできるような仕事だと思っているのか!」と容赦のない叱責を食らうような状況でした。

 

その価値観の中で評価されようと思うのであれば、やることはただ一つ。

「自分を犠牲にする」という犠牲的精神を見せることです。

自分の身を粉にしてまでも会社を守ろうという心意気を見せることが、評価を上げる唯一の道だったと言えます。

 

もちろん、仕事にもいろいろな幅があります。

あるときは一つのプロジェクトを完成させるために、休む暇も惜しんで仕事をすることはあるはず。

それらを全て「全人格労働につながりかねない犠牲的精神」とくくってしまうことはできません。

それはあくまで「プロジェクトを完成させたい」という自発的な意思であって、「そうしなければ自分の存在意義、人間としての意味がなくなってしまう」という恐怖から来る行動ではないからです。

 

「全人格労働」の根底には、「人格の全てを投げ打ってでも仕事をしなければ、自分の存在意義がなくなってしまう」という恐怖があります。

少なくとも、私も私の同僚もその恐怖によって動いていた所はあります。

そうしたことを恐怖に感じさせてしまう会社そのものの罪は非常に大きいものがありますが、そうした会社がなくならない以上、個々人が見識をもって会社を見なければならないのだと強く感じるところです。

 

そして現実として、こうした「全人格労働」の罠に陥りやすいのはマジメな人に多いと思います。

マジメであること自体は全く悪いことではありませんが、そのマジメさゆえに陥りやすい落とし穴を自分で認識しておかないと、災いを呼ぶことになりかねません。

 

このサイトを訪れてくださるマジメな方、これは私にも言えることですが、自分のマジメさをどのように扱っていくか、どのようにその性格と向き合っていくかは生きていく中で本当に大事な課題の一つです。

 

この「全人格労働」のように、マジメな人を絡めとろうとって使い捨てようとする社会の風潮がある以上、自分を大切にするためにも自分の頭で考えて物事を判断する力が必要になりますね。